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1976年3月に南京で発生した周の追悼集会

1976年3月に南京で発生した周の追悼集会と四人組批判の運動が、四人組の必死の隠蔽や妨害を越えて北京に飛び火したのが発端となった。南京から北京行きの列車の車体には人民の決起を呼びかけるスローガンが書かれ、北京市民を勇気づけた。こうして3月末に天安門広場では追悼集会が自然発生の形で起こった。参加する市民の数は日を追って増え無数の花輪・幟・追悼と四人組批判の詩文などが人民英雄記念碑に捧げられた。
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特に4月4日は清明節という中国のお盆にあたる日で、2万人近くの群衆が集まった。人々は花輪や詩を捧げるだけでなく、四人組を批判する演説や「インターナショナル」を歌うなど気勢を上げた。数日前から四人組の指示を受けた公安部による取り締まりが、花輪の撤去や街宣車による警告、説得や拘禁などの形で始まっていたが、かえって逆効果となる。ついには取締りに当たる警官や兵士までもが人々の熱気に感化されて職場を放棄する事態となった。

追い詰められた四人組は党中央を動かし、これを反革命行為ときめつけ実力行使に出る。翌5日午後9時35分ごろ、広場を包囲した警官隊が群衆を襲撃した。この事件の犠牲者や逮捕者は不明である。

事件発生後、四人組のひとり姚文元は『人民日報』に「反革命政治事件」として民衆の反乱とごまかして報道したが、かえって国民の怒りを買い、4月12日には人民日報本社に、「ある現場労働者民兵」の名で、編集長を「ゲッベルス」と揶揄し「驚愕すべきことだ!党の機関紙は堕落した!ファシズムのメガホンになり下がった」と書いた抗議文が送りつけられてきた。

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2009年06月30日 00:44に投稿されたエントリーのページです。

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